トゥールダルジャンという言葉は「銀の塔」という意味のフランス語です。その物語の始まりは、1582年。フランスではアンリ三世の時代であり、日本で言えば、ちょうど大阪城が建てられた頃になります。そして400年あまりの時と共に歴史を紡いできました。そこには、支える職人たち(アルチザン)の誇りと魂、代々受け継がれてきたトゥールダルジャンのエスプリが継承されています。
トゥールダルジャンの歴史
HISTORY
時を重ねて紡ぐヒストリー。その誕生から現在まで、
400年の時を超えて受け継がれてきたエスプリ
1582年セーヌ河のほとりに誕生した“銀の塔”の物語
トゥールダルジャン パリ本店は創業時の400年前と同じ場所に今も建っています。
その歴史は、まるでおとぎ話のように始まります。古きパリの中心であった五区のセーヌ河畔のサンルイ島の前に一軒の旅籠がありました。そこからは、銀の塔(フランス語でトゥールダルジャン)と呼ばれる、太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られたトゥールネル城の塔がよく見えたのです。このトゥールネル城は当時の王様がパリに立ち寄られる為に創られたお城でした。旅籠の主人は国王に願い出て、店の紋章にこの塔を使うことを許されて、店に銀の塔、「トゥールダルジャン」という名前を付けたのです。これがトゥールダルジャンのルーツです。そして、1582年3月のある日、アンリ三世が狩りの帰りに、ある珍しい発見をしました。
アンリ三世の発見とは?
フランスの食卓に初めて“フォーク”という発明品が登場した瞬間
1582年3月4日。鹿狩りの帰りだった国王アンリ三世と貴族達が来店。隣りのテーブルでフィレンツェから来た貴族が小さなとがった道具を使っていました。王が尋ねるとヴェニスから届いたばかりの発明品とのこと。それまで、フランスの人々はフォークというものの存在を知りませんでした。これがフランスの食文化史上初めてフォークというものが登場した場面です。すぐに国王は取り寄せるよう命じ、その後、宮廷に導入されました。
フランスの二大レストランの“結婚”がもたらしたもの
今日のトゥールダルジャンは、19世紀のフランスにおける二大レストランから生まれました。ひとつは、当時の貴族の館「トゥールダルジャン」。もうひとつは、1867年のパリ万博を訪れたロシア皇帝と皇太子、そしてプロシア国王がプライベートで同じテーブルを囲んだ歴史的な晩餐“三皇帝の晩餐”の舞台となった「カフェ・アングレ」。このふたつのレストランの子息と令嬢が結婚したことによって、ふたつの店はひとつとなり、現在のトゥールダルジャンへと歴史はつながっていくのです。
1867年6月7日の夜、“カフェ アングレ”に集まった三人の皇帝
その晩、ロシア皇帝アレクサンドル2世と皇太子、プロシア(今のドイツ)皇帝ヴィルヘルム1世の三人がカフェ アングレで晩餐を楽しみました。プライベートで三人の皇帝が同じ食卓を囲むという事は当時でも非常に珍しい出来事。ロシア皇帝は、その日のメニューに載っていなかった好物のフォアグラを所望されましたが、当時のオーナーであったクローディアス・バーデルは「冬までお待ちいただければ、最高のフォアグラをお届けいたします。」と。やがて冬を迎え、バーデルは自らロシアまで絶品のフォアグラを届けました。こうして皇帝の信頼を得たことをきっかけに、後にロシア宮廷のワインのセレクトの責任者という大役を任されたのです。
19世紀末に生まれた斬新で独創的なアイディア「鴨番号」
19世紀末。当時の支配人フレデリック・デレールの鴨料理は評判を呼び、手掛けた鴨の一羽一羽ごとに番号を付けるというユニークなアイディアで、トゥールダルジャンの名をさらに広めていったのです。ちなみに、1921年6月21日。当時、皇太子であらせられた昭和天皇がパリ本店で召し上がられた際の鴨番号が「53211」。この番号を記念すべき番号と定め、敬意を表して、この番号の次の番号を、後に誕生するトゥールダルジャン 東京での最初の番号としました。
トゥールダルジャンと日本との“縁”によって結ばれた世界で唯一の支店、東京店の誕生の秘密
トゥールダルジャンと日本とのご縁を辿れば、昭和天皇がまだ皇太子の頃、パリ本店にお立ち寄りくださいました。それから約50年後、ご夫妻で再びご来店賜りました。また政財界の方々など多くの方がパリ本店を訪れ、日本という国に強い「縁」を築いていったのです。そして、1984年、トゥールダルジャン 東京はホテルニューオータニ開業20周年記念事業として誕生。旧加藤清正邸という400年の歴史を持ったオータニ庭園を望む地に、トゥールダルジャンの世界唯一の支店として誕生したのでした。文字通り、フランスと日本の食文化の架け橋という役割を担っての登場でした。